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給水塔
児玉の給水塔が、取り壊しか、修復して町の遺跡として残そうか、と議論されています。 子どものころ、自分は「こんなところに住んでいるのは化け物のような人だ」と思っていましたし、何より建物それ自体の存在感に恐怖を感じていました。いま、歳を経て給水塔を見ると、当時の風景はもちろんだけど、その時の自分の恐怖心を思い出すことができて、「ああ、この気持ちが懐かしい、ということなんだ」と再認識します。神社や遺跡や山は、対峙する人の気持ちを飲み込んでどんどん神格化されるのではないでしょうか。巨木が切れないのと同じ理由で、給水塔も壊してはいけないと思います。みんなの気持ちや思い出を飲み込んでいるものなんですから。世界的な史跡や神社から比べたら、児玉の一部の人しかこの給水塔には思い入れはないかもしれませんが、それでもこれを壊すことで、人の気持ちが霧散するのは、故郷がなくなるのと同じだと思います。
日時 2007年07月01日 18:23 |
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