建設産業常任委員会所管事務調査報告書

 

1.調査事項

@ 蔵を生かした街づくりについて  (岩手県・奥州市)

A 観光行政について  (岩手県・盛岡市)

B 農山漁村の活性化について ( 青森県・三戸郡南部町 )

2.調査目的

@ 「蔵の街」を生かした回遊性・個性の創出を生かし、民間主導によるガイドラインに基づく街づくりの推進により全国で「唯一無二」を目指した街づくりの活動状況についての事例調査

A 観光協会やフィルムコミッションを統合し、新しい産業とも呼べる「盛岡観光コンベンション協会」の活動状況についての事例調査

B 究極のグリーンツーリズムを目指す「達者村」の活動状況についての事例調査

3.調査方法

( 1 )  現状調査

@日  時   平成19年9月6日 ( 木 )  午後3時30分〜4時30分

A場  所   本庄市庁舎議会棟・第2委員会室

B出席委員   湯浅貴裕・飯塚俊彦・高橋清一朗・中原則雄・堀口勝司・青木清志・山口 薫・野枝直治

C説明者    経済環境部・部  長 吉川敏男

         経済環境部・商工課長 大野 清

         経済環境部・農政課長 横堀隆宣

 

( 2 )  先進地調査

@ 蔵を生かした街づくりについて

ア.日 時  平成19年11月5日 (月) 午後2時〜午後4時

イ.場 所  岩手県・奥州市・江刺総合支所・えさし藤原の郷

ウ.出席者   湯浅貴裕・飯塚俊彦・高橋清一朗・中原則雄・堀口勝司・青木清志・山口 薫・野枝直治  8名

エ.説明者  奥州市江刺区  区長 佐藤雅士

        奥州市江刺総合支所  商工観光課長・ロケ対策室主幹 佐賀克也

        奥州市江刺総合支所 商工観光課長補佐・ロケ対策室 石母田俊典

        奥州市議会事務局議事調査係・主任 今野美享

A 観光行政について

ア. 日 時  平成19年11月6日(火) 午前10時〜午前11時30分

イ.場 所  岩手県・盛岡市役所・先人記念館・盛岡手作り村

ウ.出席者   湯浅貴裕・飯塚俊彦・高橋清一朗・中原則雄・堀口勝司・青木清志・山口 薫・野枝直治  8名

エ.説明者  (財)盛岡観光コンベンション協会 事務局長  橋賢一

       盛岡市商工観光部観光課・課長補佐  小原俊彦

       盛岡市議会事務局・次長兼議事課長  小山和良

       盛岡市議会事務局・議事課議事係主任 杉田一盛

B 農山漁村の活性化について

ア. 日 時  平成19年11月7日 (水) 午前10時〜午前11時30分

イ.場 所  青森県・三戸郡・南部町役場・名川分庁舎

ウ.出席者   湯浅貴裕・飯塚俊彦・高橋清一朗・中原則雄・堀口勝司・青木清志・山口 薫・野枝直治  8名

エ.説明者  南部町・副町長 赤石武城

       南部町農林課・グリーンツーリズム推進室 室 長 小笠原覚 

       南部町農林課・グリーンツーリズム推進室  主 査 横山 悟

4.調査概要

(1) 蔵を生かした街づくりについて  (岩手県・奥州市)

@ 目 的

岩手県奥州市江刺区「岩谷堂」地区は平安時代末期に奥州藤原氏の祖藤原経清、初代藤原清衡が居住していた。藤原氏滅亡後は江刺氏が統治さらに江戸時代までは伊達藩の統治下にあり藩の最北端の要地として城下町が形成され北上川の舟運による物資の集散地であった。そのため農産物や酒などを貯蔵するため多くの「蔵」が作られた。現在でも137棟の蔵が残されている。昭和30年岩谷堂町を含む9か村が合併し江刺町、昭和33年市制施行、江刺市となった。が、昭和50年代になり、中心市街地の空洞化が急速に進み商業者にとって死活問題となった。

そのため、平成5年に(社)江刺青年会議所のOBが、「えさし藤原の郷」(歴史的建造物の再現と展示による学習体験ができるテーマパーク・ドラマ、映画の撮影にも使える。)建設を契機にNHK大河ドラマ「炎立つ」ロケ誘致に成功。「蔵町モール」(歩行者専用道路)など、平成8年から幾多の事業を実施したが、なかなか効果が挙げられなかった。ところが、平成9年、青年会議所の30〜40代の有志達、11人が「まちの歴史と文化遺産」である「蔵」の活用で街の活性化を図ろうと「株式会社・黒船」を設立。中心市街地に数多く残る「蔵」を活かそうと考えていた江刺商店街を覚醒させ、街の再生に向けて地域主導による本格的事業展開につながった。

 

A 導入・開始経緯

中心市街地の関連事業は平成8年から行われており、平成9年には蔵の移設改修事業(ガラス工房として利用)や、平成10年には商店街等活性化先進事業(音のミュージアム「キンコン館」)「蔵」を模した江刺バスターミナル整備事業、平成12年には「江刺市中心市街地活性化基本計画」策定。

「江刺タウンマネージメント(TMO)構想」平成14年には菊田一夫記念館整備事業。蔵町交流事業で装飾街燈の設置。平成15年には「水曜市」や「おらほの祀り事業」などが行われている。

しかし、なんと言っても平成9年に設立された、「株式会社・黒船」(資本金:9,910万円。株主:60名。代表取締役:綾野輝也:岩手県観光のカリスマ・歯科医師。)

会社理念:「蔵」を活かした環境整備と「蔵」の保存・保護を通じて、街中経済の活性化に寄与するまちづくりガイドライン「黒船百年計画」を提案。

「黒船」が鎖国状態から開国へ導くきっかけとなったように「まちの活性化の象徴となるように、街にインパクトを与える」との思いを込めた。また、「蔵」の活用を通じて滋賀県長浜市の「株式会社・黒壁」と平成7年やはりNHK大河ドラマ「秀吉」が「えさし藤原の郷」で行われ、それがきっかけで「株式会社・黒壁」のガラス工房・販売店が進出した事も大きな影響力をもった。   

 

B 成果・今後の課題

奥州市は市町村合併により中心市街地が複数存在する江刺区の持っている歴史、伝統、文化、コミュニティーを大切にしないと「個性」ある街づくりができない。中心市街地の機能分担が重要。郊外には大型店舗が進出してきている、中心市街地を一つのテーマパークと捉え、散歩を楽しめるようなプロムナードや小公園等を整備し、歩いて面白く、気持ちが良い、滞在してみたい、生活してみたいと思わせる、楽しい空間に生まれ変わる必要がある。生活の場として「生活者」自身が自分の事として「住みやすい街づくり」を考え行動する事が重要である。

かた、「えさし藤原の郷」には年間140万人もの観光客が訪れる、しかし、中心市街地には回遊しない。街中への取り込みが課題である。

「蔵」の活用にしても資金的面から年間1棟程度しか出来ず、全体の1割程度の活用に止まっている。「蔵」の補修改修費用は坪100万円から200万円程かかり所有者の高齢化と相まって新たな投資への意欲低下が見られ今後の対応が課題となっている。

 

C 本庄市の現状

本庄市においても江戸時代の中仙道の宿場町として栄えた過去の状況として「蔵」の建築戸数は平成5年〜7年頃の調査によると旧中仙道沿いに・・・棟ほどの建築戸数を確認できる。これは県内、川越市などの戸数と比べてもかなりの戸数といえると思うが、それを利用した施策は行われてはいない。一部の「蔵」については補修改修を行って住居として、また、倉庫としての利用は認められるものの「蔵を活かした街づくり」とは言えない状況である。

 

D 本庄市へ導入する場合の課題

 「蔵」を所有している地域は旧中仙道沿いの商業店を中心にした地域である。従って、商店街の活性化という観点から言うとそこの住まわれている生活者の方々のそれぞれの個性を活かしながらも中心市街地全体を見据えたビジョンを共有し「商業中心」から「街づくり」を視点にとした事業に転換していく生活者の意識改革が必要と思われる。また、生活や暮らしだけの環境ではなく、そこに住んでいて「楽しい生活空間」また、「蔵」保有する事を誇りに思える気持ちを創造しなければならない。

また、奥州市の「株式会社・黒船」のような長期ビジョンを持った団体などが現れる事も必要な要素と考えられる。

 

E 本庄市への反映・提言

 今回、「 蔵を生かした街づくりについて」という事で岩手県・奥州市を視察させて頂いたが、「蔵」と言う建造物は同じに存在していてもそれが「街づくりに」活かせるかどうかはそこに住む生活者の方々の意識の持ち方で随分、左右されると思う。しかし、旧本庄市でも旧児玉町でも大通りから一歩裏通りへ入ると昔ながらのホッとできる空間が今も残っている。奥州市の様な大きな観光スッポットは無いかもしれないが新幹線や関越道を利用して、都心から近くて、チープに利用ができ、短時間でも利用のできる本庄市は、

例えば宿泊施設に利用するとかが考えられないだろうか?

新本庄市も合併後もうすぐ、2年を経過する、フィルムコミッションなどの影像産業もロケに訪れている事などを網羅した、大きくなった本庄市の「街づくり」が必要と考える。

引き続き「蔵」や、「歴史的近代化遺産」を大切にし、本庄市の財政・振興計画を踏まえ「街づくり」を研究・調査をして行きたい。 

 

(2) 観光行政について  (岩手県・盛岡市)

 

@ 目 的

 盛岡市は今から400年前、慶長年間より栄えた城下町である。直近では平成17年1月に玉山村と合併し人口約30万人の岩手県随一の中核都市を目指している。

盛岡市でのフィルムコミッション、さらにフィルムコミッションも含めた観光コンベンション協会の実態を視察する事によって本庄市に導入可能な部分があるか調査するものである。

国内外から人や物や情報、文化が集まり交わり、各種大会、学会、会議、展示会、スポーツイベントなどを積極的に誘致・開催する事により、地域経済活性化に役立ちたいと生まれたのが新しい産業といわれる観光(ツーリズム)とコンベンションを合わせた「(財)盛岡観光コンベンション協会」である。この様な各種イベントを成功に導くための多方面からのバックアップ活動であり、平成15年には、盛岡広域フィルムコミッションはもちろん(社)盛岡観光協会をも組織統合したものである。

 

A 導入・開始経緯

 盛岡市の観光客入込数 ( 県内・県外の日帰宿泊合計 ) は平成8年の400万人がピークで、平成10年の岩手山、火山活動による地震の影響で370万人まで減少、平成15年の東北新幹線「はやて」の開業効果やそれに合わせたキャンペーンなどで380万人まで回復。平成16〜17年にかけては東北新幹線八戸延伸もあり平成17年には400万人を突破。平成18年1月

10日玉山村と合併し新たな観光資源を獲得、統計開始以降最高の451万人を突破した。平成19年にはNHK連続テレビ小説「どんど晴れ」の放映の影響でさらに増加が見込まれている。

また、平成14年6月7日、「盛岡広域フィルムコミッション」が設立。構成団体は盛岡市・八幡平市・雫石町・葛巻町・岩手町・滝沢村・紫波町・矢巾町の8市町村で構成。さらに平成15年には ( 財 ) 盛岡コンベンションビューロー、と ( 社 ) 盛岡観光協会も統合した「 ( 財 ) 盛岡コンベンション協会」が誕生した。

 

B 成果・今後の課題

(資料・・@ABを載せたい。が?また、映画やテレビ収録以外の各種イベントもこのコンベンション協会が絡んでいる事を載せたい。)

 

C 本庄市の現状

平成14年3月から「彩の国本庄拠点フィルムコミッション」を結成。平成18〜19年にかけて37回のロケが市内で行われた。

設立の契機は早稲田大学本庄校地内に「本庄情報通信研究開発支援センター」

(現在は芸術・科学センター)が整備され、高感度ハイビジョン撮影やその編集が可能になった事により「スパイ・ゾルゲ」をはじめ「日本沈没」「クラブ進駐軍」などが撮影されている。

また、早稲田大学大学院国際情報通信研究科・安藤研究室により学生による地域発信型映画の作成も開始されている。

本庄フィルムコミッションの会員になるとロケ情報やエキストラ募集などの知らせが来るものの何も知らない人々は「何でこの道路が交通止めなのだろうか?」と思っているのではないだろうか?

 

D 本庄市へ導入する場合の課題

本庄市の観光課・本庄商工会議所・本庄フィルムコミッションなどが一同に会し「観光コンベンション」の理解を十分する事。

 

E 本庄市への反映・提言

この「盛岡観光コンベンション協会」は映画やテレビドラマなどの収録に止まらず、各種の学会やスキー大会・祭り・労働組合の大会・・・・など、とにかくありとあらゆる催事を網羅して運営しています。従って警察も病院も宿泊施設も消防署もJRも巻き込んでいかなければ成り立たないと思います。しかし、平成19年8月12日の読売新聞の記事に「埼玉ロケ好評です・安い、近い、空が抜けてる。」との記事があるようにロケ用の近代化遺産の建造物はあるし、編集用のスタジオも編集用のパソコンやモニターもある、人手が足らなければそれを勉強しようとしている早稲田大学の学生さんも居るのですから本庄市でも盛岡のミニ版は可能と考えますが引き続き、今後の本庄市の財政・振興計画状況を踏まえ研究・調査の対象としたい。

 

(3) 農山漁村の活性化について ( 青森県・三戸郡南部町 )

 

@ 目 的

A 導入・開始経緯

B 成果・今後の課題

C 本庄市の現状

D 本庄市へ導入する場合の課題

E 本庄市への反映・提言

引き続き、今後の本庄市の財政・振興計画状況を踏まえ研究・調査の対象としたい。